支援者の経験と見解との関係

Twitter(X)には不登校に関する情報がとても多く存在します。現在子どもが不登校中で情報集めや情報交換でポストする人、不安や愚痴を吐露する人、過去に子どもが不登校で今は学校や社会に復帰している親、かつて不登校生と関わった支援者で経験や知識をシェアする人、実に様々です。様々な人たちがそれぞれ違う経験を通して培った知識はあくまで個別的で、自分たちにふさわしい知識や言葉が見つかるとは限らないのです。誰かを励ますという目的でポストした言葉が、他人にはプレッシャーになって逆に不安が増すこともあるでしょう。

ではどのようにXなどのSNSや本などのメディアと接すればいいのでしょうか?その問いに対する明確な応えはないと思います。なぜなら全く同じ子どもは一人として存在しないし、親自身も唯一のものだからです。そのまま受け入れる必要はないですし、疑ってかかるべきなのです。人は人、ウチはウチということは、自分と他人は違う状況にあるということです。だから他人の意見や経験を自分に当てはめることはできません。また、隣の芝生は青いということは、他人の成功や幸せは自分には関係ないということです。だから他人と自分を比べて焦ったり妬んだりすることはありません。

不登校に関して意見を発信している方にはいくつかのパターンがあります。それぞれに信じるべき妥当性はあるかとは思いますが、疑問を感じる内容も多いと感じています。それぞれの立場の意見の特徴を示してゆきます。

自分の子どもが不登校だった親

支援者でもそれぞれに意見はかなり異なります。自分の子どもがかつて不登校だった、しかし今は社会で元気に暮らしている、という方も多く見られます。善意や親切心から発信している内容なのかもしれませんが、ある1ケースを主観的に評価している場合が多いと私は感じています。「子どもへの声掛けの例」をいくつも挙げて、こうすれば子どもも親も元気になる、などのポジティブワードを並べていたりします。でもそれはその親の経験であって、参考にしなければいけないという理由はない。また経験者の子どもが社会復帰していることに対して焦りを感じたり、妬みを感じることもないと思います。

経験の多い支援者

不登校の子どもを支援するためにはある程度の経験や適性が求められます。その子どもがどのような状況にいるのか、心理状態はどのようになっているか、目標設定の妥当性など、知識や経験がないと適切な支援を行うことは難しいと考えています。ただ一概に経験した人数が多ければいいかといえば、そうとは限りません。経験があるからこそ陥る思考の固定化、自分の知る不登校の子どもの心理のパターンに当てはめるという間違いを起こすことがあります。

子どもはそれぞれ違う環境で育ち、家庭もそれぞれ個性的です。母親がちょっとしたトラブルに動揺してしまうタイプもいれば、全く動じない精神的大黒柱タイプもいらっしゃいます。子どもとの時間を大切にする父親もいれば、仕事が忙しく子どもとの時間を取れない父親もいらっしゃいます。子どもは特に親の性格に影響されて成長していきます。また通った学校に大きく影響されることもあります。

子どもはそれぞれ個別的に成長して人格を形成してゆきます。その中でクラスの雰囲気に適応できなかったり、担任の言動がしんどかったり、いじめや嫌がらせがあったりして、残念ながら不登校になる生徒が出てきます。もともと発達の障害や学習障害があり、それがきっかけで不登校になる生徒も少なくありません。いろいろな要因が重なって不登校になる子どもたちには、それぞれに相応しい個別的な支援が必要になります。しかし多くの経験を積んだ支援者の中には、「AのタイプにはAの支援、BのタイプにはBの支援」というように子どもをカテゴライズして一様な支援を行う人もいます。それでもその中で支援を受けた子どもの半数以上は回復に向かうと思います。不登校の子どもは回復への希望が強いという傾向がありますから。「きっかけ」さえ与えてあげれば、水を得た魚のように目標に向かって進む子もいます。しかしカテゴライズされたタイプとは違った場合、子どもと親の苦悩は続きます。

回復する機会を失った子どもは、自信を失い再び部屋に籠ることになります。一方、支援者としては多くの経験をもとに支援した結果として、支援の妥当性を主張するでしょう。「ほとんどの子どもは回復しています」という成果を証拠として。そして回復に失敗した要因を外に求めます。外とはつまり「親」です。子どもへの接し方に問題があったのではないか?何かストレスを与えたのではないか?そういわれてしまうと親としては失望(というより絶望)するしかありません。

このように支援者は支援した子どもの数が多ければいい、ということにはならないのではないかと思うのです。支援者にとって必要なことはまずは適性、そして経験に囚われずにひとり一人の子どもを個別的、客観的に見られるか、だと考えています。そのためには支援者は自身が常に学びに開かれていなければなりません。今行われている不登校研究へのアクセス、不登校の子どもを持つ親のリアルな心情の理解、他の不登校支援の成功例の把握など、常に意識は目の前の子どもだけでなく外へも。私自身はそう考えながら支援を行っています。

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