自己紹介

私は2歳上の兄の影響で、小学生の時から甲子園を夢見て高校3年まで野球に熱中しました。高3の夏の甲子園埼玉県予選では準決勝で敗退し、夢は叶いませんでしたが、その後プロ野球で活躍した選手と対戦した経験は、とても誇りに思っています。大学では男子ラクロス部に入部しました。ラクロスはチームワークとスピードが求められるスポーツで、関東学生ラクロス男子1部リーグで、私は2年次から主力メンバーとして活躍しました。卒業後は大手アパレル会社に就職し、ファッションブランドでマーケティングを担当しました。仕事もプライベートも充実していた私の人生は、27歳の時に一変しました。

ある秋の午後、スーパーマーケットで買い物している時に急に脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれました。命は助かりましたが、顔と上半身に麻痺が残りました。リハビリを続けて、運動機能を取り戻すことができましたが、脳梗塞のショックからPTSDを発症することになりました。再発の恐怖や不安にさいなまれる日々が続き、仕事も辞めざるを得ませんでした。その後の4年間、引きこもり生活を送りました。夢もキャリアも失って絶望の日々を送りました。本当に辛い毎日でした。

私を救ってくれたのは、塾講師の仕事でした。友人の勧めで、小中学生を対象とした進学指導塾で働くことになりました。子どもたちと接するうちに、私は少しずつ社会に復帰することができました。塾講師の仕事は、私にとってやりがいのあるものでした。子どもたちの学力だけでなく、人間性や夢にも関心を持ち、一人ひとりに合った指導を心がけました。その結果、多くの子どもたちが志望校に合格し、その後、立派な社会人となって社会に貢献してくれています。私も子どもたちからたくさんのことを学び、成長することができました。

2004年、塾講師としての経験を活かして独立し、埼玉県ふじみ野市に「進学指導塾アトリエ」を開設しました。教科教育だけでなく、保護者からの依頼で不登校生や発達障害をもつ子どもの指導も行いました。翌年には塾の卒業生の依頼で、獨協大学女子ラクロス部のヘッドコーチに就任しました。ラクロスは私にとって思い出深いスポーツでした。学生たちにラクロスの楽しさや魅力だけでなく、人格形成の中で重要なチームワークや他人を尊重する心を伝えることができたと思っています。不登校支援では発達障害を抱えた生徒や、保健室登校や五月雨登校、6年間引きこもりで昼夜逆転ゲーム依存の生徒も、高校から大学や専門学校に進学、社会に送り出してきました。

しかし、私の人生はまたしても試練に見舞われました。自分で塾を開設して3年後に、指定難病の黄色靭帯骨化症という病気を発症しました。この病気は腰の骨と靭帯が異常に癒合してしまうもので手術が必要でした。手術は成功しましたが、その後も再発を繰り返しました。今でも腰の痛みやしびれに悩まされています。また、PTSDも完治していません。時々不安や恐怖を感じることがあります。

私はPTSDと黄色靭帯骨化症を抱えながら仕事を続け、幸運にも結婚することができました。そして男女の双子の親になることができました。子育ては想像を絶する寝不足と忙しさの日々でしたが、愛にあふれる貴重な経験ができました。子どもたちは中学2年生となり、現在は子どもの母親と兵庫県に住んでいます。

自分の稀有な経験があったからこそ、他人よりも不登校生の気持ちや苦しみに寄り添うことができるのだと思っています。彼らに中学や高校時代に経験するべき体験をしてもらいたいと強く思います。自分の学校の野球部を応援したり、活躍している先輩に憧れたり、他校の文化祭に行って友達を作ったり。そういう学生生活を送るために、私はこれまでの経験や知識を基に、根気よく子どもをサポートします。また元不登校生の親として、不登校生の親の気持ちにも寄り添いたいと考えています。

昨年10月から、不登校生のサポートにフォーカスした子ども支援団体を立ち上げました。不登校生に対して、教科教育だけでなく、ITの活用やスポーツ、アートなどの活動も提供していく予定です。これらを通して、不登校生の自信の回復やコミュニケーション能力を高め、社会性を獲得することを目指しています。

病気は私から多くのものを奪いました。他の同世代の方々よりも辛いことや苦しいことは多くあったと思います。そして抱えている病気の影響で、私に残された時間は長くはないと思っています。だからこそ、今後も自分の仕事に誇りを持って、子どもたちのために尽くしていきたいと思っています。

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